2026/08/31
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こんにちは
今回は、施設に託しているからこそ生じる、心の距離感の悩み です
「施設に預けているから楽でしょう?」という世間の無理解と、自分の中にある罪悪感の板挟み。
これが、施設預けをしているご家族(特に60代・70代)が抱える「目に見えない介護疲れ」の正体です。
物理的なお世話からは解放されても、心はずっと拘束されている状態です。その葛藤の内訳を整理します。
1.「施設=見捨てた」という根深い罪悪感
「親は家で最期を迎えたいと言っていたのではないか」「自分だけ温かい布団で寝ていていいのか」という思いが消えません。
面会後の虚無感: 帰る間際の親の寂しそうな顔や、認知症が進んで会話が成立しなくなった姿を見るたび、自分の選択が正しかったのか自問自答を繰り返します。
2.終わりの見えない「待機状態」のストレス
在宅介護のような「肉体的な限界」ではなく、「精神的な消耗戦」です。
スマホが鳴る恐怖: 施設からの着信があるたびに「容態急変か?」「転倒したか?」と心臓が跳ね上がります。
この緊張状態が数年単位で続くと、脳が休まる暇がありません。
「いつまで続くのか」という禁断の思考: 介護が長引くほど、心のどこかで「早く楽にさせてあげたい(自分も楽になりたい)」という思いがよぎります。そんな自分を「なんて非情な子だ」と激しく責めてしまうのです。
3.面会とケアへの「義務感」による疲弊
「預けているのだから、せめて頻繁に顔を出さなければ」という自分へのルールが首を絞めます。
面会疲れ: 忙しい合間を縫って通っても、親から「帰りたい」「食事がまずい」と不満をぶつけられると、優しくなれない自分にまた落ち込みます。
介護職員への気遣い: 「クレーマーと思われたくない」と、現場のスタッフに過度に気を使い、言いたいことも言えずにストレスを溜め込むケースも多いです。
4.経済的なプレッシャーの継続
施設費用は決して安くありません。
貯金が目減りしていく様子を見ながら、「もし親が100歳まで生きたら足りなくなるかも」という現実的な恐怖が、親の長寿を素直に喜べない歪みを生んでしまいます。
以上の感情が入り混じり、施設に託したことへの自分の心との葛藤が起こります。
でも、こう考えてみてはどうでしょうか。
「預けることは、手放すことではなく、プロに守ってもらうという決断です」
「家族にしかできないのは、おむつ替えではなく、笑顔で面会に行くこと。そのためには、あなたが自分の人生を歩む時間が必要です」
自分の人生が成り立つからこそ、親のことも考えられると思います。
自分を責めることはしないでくださいね。
次回は、家族だからこそ最後に手放してはいけないもの です。
